スーパーの自動ドアが、ふわりと開く。
「今日なに食べたい?」
母はやさしく聞く。まだ平和な時間だ。
「からあげ!」
迷いのない即答。
(揚げ物かぁ…)
母の脳内では、すでに油が跳ねている。
「おかしのところいく!」
来た。
「あとでね〜、先にごはんの買い物ね〜」
母はカートを押す。
子どもは視線を走らせる。
目が離れた一瞬。
「これほしい!」
振り向けば、ちょうど目の高さに並ぶお菓子の棚。
小さな手には「ほしい」が。
「勝手に行っちゃだめでしょ!」
母は言う。
でも本音はたぶん、こうだ。
(お願いだから、予定通りに進ませて)
「だって、ほしいんだもん!」
それは、とても正直な理由。
しばらく押し問答。
そして最後はこうなる。
「……一個だけだよ!」
勝者は誰だろう。
たぶん製菓会社だ。
少なくとも、子どもは悪者ではない。
さて、
私たちは何に困っているんだろう。
子どもが「ほしい」と言うこと?
それとも、
自分の段取りが崩れること?
少し整理してみる。
子どもの望みは、実はとてもシンプル。
「今、これがほしい。」
一方で親の望みは、少し複雑だ。
楽しく買い物をしたい。
早く帰りたい。
夕飯を作りたい。
揚げ物は避けたい。
騒がれたくない。
心配だから離れないでほしい。
どう対応するのが正解…?
どちらが正しいか、ではない。
悩みはたいてい、
望みがぶつかったときに生まれる。
スーパーに行きたかったのは、親。
子どもは、親の用事に付き合っている。
そう思うと、
「ほしい」は、少し違って見えてくる。
それは反抗ではなく、
ただの感情表現。
しかも、とても素直な。
食べたいものを聞かれて、
「からあげ!」と答えられる。
目の前にあるものを見て、
「ほしい!」と言える。
それって、実はすごい力だ。
子どもの「ほしい」を敵にしなくていい。
それは、これから生きていくための力だから。
もちろん、何でも叶えられるわけではない。
でも、
「子どもの望みを、自分のできる範囲で叶える」
という前提に立つだけで、
選択は変わる。
買わないと決めるのも選択。
最初にお菓子コーナーへ行くのも選択。
スーパーに行かないのも選択。
(配達とか、便利なものがたくさんある。)
子どもを変える前に、
大人の見方を変える。
その方が、ずっと楽で幸せ。
そして、こんな事実。
公園で夢中になって遊んでいるとき、
「スーパーいきたい!おかしほしい!」と騒ぐ子を見たことがない。
目の前にあるから、ほしくなる。
環境は、親が用意できる数少ないもの。
育つ力を、急がせなくていい。
今日の「ほしい」は、
成長の途中経過。
その時間のなかで、
親もまた、自分の望みと向き合っていく。
どうして買わないのか。
どうして買ってあげたいのか。
待つあいだに、
子どもだけでなく、
親も育つ。
自分なりの理由が見えてきたとき、
「買わないよ」も、
「一つだけね」も、
ぶつける言葉ではなく、
自信をもって伝える言葉になる。
子どもが育つのを待ちながら、
親も育っていく。
そうやって、
一緒に育っていく。
2026.2
絵本講師 大谷佑香
